「建築リフォーム業界の常識」は非常識?

あなたがリフォーム工事の契約をした途端に襲われる

「リフォームストレス」とは

職人へのお茶出しや「心づけ」などの建築業界で常識とされる「慣習」

「希望が伝わらない無愛想な頑固職人」技術が優れているのは当然・・・でも

「職人にやらせますから」の口約束現場監督と「言った言わない」のトラブル

「普通建築業界は契約時手付半金が常識」など業者側都合の押し付け
「だから工事前に言ったでしょう!」などという責任逃れの逆ギレ高圧的な態度

「言われた通りにやりましたから!」と完了後の使い勝手の悪さ・提案不足の言い訳
家中ホコリだらけ騒音で近所からクレームでも毎日「これが普通」と知らん顔

居場所がなく部屋に閉じこもったままで買い物にも行けない在宅工事で主役のあなた

「素人意見ですね」上から目線でニヤニヤしながら施主の希望を受け流す
営業に来た人は現場に一度も顔を見せない担当責任者がバラバラ
問題がこじれると担当者は転勤移動で職人も総入れ替え「真実は闇の中」
「そんなの聞いてないからできない」と決められた自分の賃金と工期優先の職人
裁判になれば顧問弁護士に必ず負けるのが「大手の安心保証」の意味?


「建築業界の悪習に断固反対」の会社だからこそできるリフォームとは?

元紳士服地のサラリーマンがリフォーム会社経営?


経営者・現場責任者が建築会社に勤めた経験のないリフォーム会社って不思議ですか?

申し遅れました。私、代表本人の後藤仁志と申します。

ほとんどのリフォーム会社は
大手や中堅のリフォームチェーン企業の元社員や店長、新築工務店の営業・現場監督など建築の業界出身者です。

そうでなければ現場職人「高額商品を売って歩合給を稼いできた訪問販売営業マン」です。

 

リフォーム業界は「建築にどっぷり浸かった本職」と「商品としての訪問販売セールスマン素人」の両極端な業態なのです。

これは、「興信所・探偵」と同じように法的許可が(軽微な工事500万円以下)必要ないのですぐ「リフォーム業」を始められることにも原因があるようです。

 

(東京都知事の建設業許可など認定の有無を確認することが信用の最低目安となります)


建築業界の悪い習慣に反対の立場を取れる私の会社だからできることがあります。

それは・・・

「建築工事の主役はプロの我々に任せておけ」という誤った考えに基づく主導権を「発注者であるお客様」に取り戻すこと。

 

リフォーム工事の成功のためには、最初に申し上げたように施主であるあなたやご家族のストレス・精神的負担をなくす必要があります。


つまり「建築業界の常識」という非常識をお客様目線の一般常識に置き換えるということです。

ソフト面重視とはいえ、技術的なレベルはあって当然のことで

「お客様はリフォームで何を手に入れたいと思っているのか」

 

「技術的・費用的な制約の中で最善の案を職人が再現できるか」

 

現場管理の人間(私)が適切な対応をすることで、リフォームの精神的苦痛を防ぎ想いを形にすることができるのです。

将来のライフスタイル・家族構成を見据えた工事の提案、現場へ希望のニュアンスを正確に伝えること、そして人によっては職人との相性なども考えます。

建築業界の常識にとらわれない者として数多くの人の相談に乗ってきた実績と経験があるからこそ、正しいリフォームのサービスをお届けできるというわけです。


マスコミ掲載・受賞 表彰

TBSテレビ「噂の!東京マガジン」取材協力
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毎日新聞 取材
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パナソニック ビジネス動画インタビュー
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「人と企業」雑誌対談 藤波辰爾氏
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我が家の環境大臣任命証
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地元で信頼できる有料リフォーム店 表彰
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武蔵野市 三鷹市 小金井市 地域の方々の声のご紹介


代表者 紹介

どんな人間が代表を務める会社であるのか?

興味のある方のみ、少々お付き合いください。

 私は、武蔵野市でリフォーム業を営んでいる後藤仁志と申します。
 正直なところ、あまり人には話したくないことですが、あなたと信頼関係を築きたいので全部お話します。
 
 私は昭和38年徳島県で生まれました。

 私の母方の祖父母は明治生まれの教師。
 父も明治大学卒業して故郷四国徳島の高校の社会科の教師(その昔、池田高校で英語教師時代に蔦監督にお世話になったそうです)
 
 母は文化服装学院を出て専業主婦という、母以外は教育者の堅苦しい家系。
 その子供として私と6つ年上の兄との4人家族は、ごく普通の暮らしをしていました。
 
 生まれた時から一戸建てに住み、幼稚園からピアノを習うような家庭でした。
 父の兄弟の従兄弟たちと大阪万博に行ったのは楽しい思い出です。

 そんな順風満帆な生活が急変したのは私が小学校2年生の秋でした。
 中学2年の兄は修学旅行の最中。
 父は心筋梗塞で40歳の人生を突然終えました。
 

 幸せそうな家庭から一変。
 

 専業主婦36歳の母も何もしないわけにはいかず、新聞配達を始めました。
 
 私も一緒に手伝いました。
 
 同級生のいる家にも行かなければいけない恥ずかしさ。
 兄は多感な頃で反抗期。

 そのうち思い立った母は車の免許を取りに教習所へ。
 趣味の洋裁では既製品の洋服が大量生産されてきたこの頃には収入にはならないと判断し着物着付教室に通い資格を取得。

 同時にヨガを習えば、着物着付教室とヨガ教室を開いて最盛期で5つの教室を掛け持ち車で走り回る毎日。

 兄は荒れて家庭内暴力、家に帰らぬ日々。

 その時、感じたことは、「近所のお母さん友達もみんな離れていった。誰も助けてくれない」ということ。
 (これは間違った考えだと後に気付くのですが)

 近所でどこへ行っても、興味本位で家庭のことを詮索してくるくせに、普段は遠巻きに見ている大人。


 小学校の優等生グループの友達とも次第に離れていった。
 「僕は君たちと違うんだ」という思い。



 父親代わりの祖父が脳梗塞で倒れ半身不随に。
 母と祖母が面倒を見ることなり、私もシモの世話など休日は病院で祖母と交代したり手伝う日々。

 調理師になりたいという兄は説得されて大阪の大学へ。

 母の再婚話で義兄弟ができるも、自然消滅。

 私は母を一人徳島へ残して名古屋へ進学。

 卒業後、名古屋本社の服地アパレル会社へ就職。
 研修期間中に同僚と大げんかした結果、ただ一人東京支店へ配属。
 市ヶ谷の左内坂へ勤めることになった当日四谷のサンミュージックの前で岡田有希子が投身自殺。
 
 右も左もわからず、毎日車を走らせ取引先の銀座英國屋や港区麻布台のお客様へルート営業。
 自分でデザインしたスーツを縫製工場で作ったり、先輩と夜の街に繰り出す楽しい日々を過ごすも、
 慣れた頃にまた別の先輩や上司と喧嘩。

 付き合っていた彼女にフラれ、失意のもと転職。
 
 バブル直前の不動産景気を見込んで転職。
 採用試験でマンションデベロッパー会社不採用。
 
 銀行系のマンション売買仲介会社へ再就職。


 配属担当地域池袋沿線に自費でアパートを借りて自転車を置き飛び込み営業続ける。

 夜駆け朝駆け、昼間からビールという世界に疲弊して、今度は出社拒否で退社。
(会社に多大なご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした)

 またまた無職になっても失業保険をもらう間もなく独立に向けて実地を積むために知らない世界に飛び込みました。
 
「便利屋」「ハウスクリーニング」「調査会社」「交通量調査」「貯水槽清掃」「大工見習い」「空調設備工事」「設計事務所」「芸能プロ手伝い」「雇われ店長」「引っ越し屋」・・・

 住まいに関する仕事・自営業に必要な接客・セールスを必死に実地で勉強しました。
 
 そして、その頃知りあった友達の僧侶 斎藤さんに言われた一言。



「後藤さん、なんでもできるって何にもできないってことだよ」
 
 「確かに、世間から見ると何をやっているのかわからない。悪く言えばフリーターと変わらず」
 
 それが心の引き金となり「ヘルプ商会」という屋号で建築サービスの個人事業を立ち上げました。

 大工さんの紹介で当時のミサワホームエンジニアリングを紹介していただきました。

 普通は会社の信用調査で不採用のはずですが急遽「ヘルプ商会」を平成元年に法人化したことで
 住宅メーカーのリフォーム部門の草分けである大手企業 当時の早川部長より取引業者として関わることとなりました。

 

 企業の下請けとして関わったのは後にも先にもここだけでした。(元請以外はやらないと決めたので)
 

 この時期に社員3名を引きつれて都内の高級住宅の解体工事から、補修工事、引き渡し工事、職人不足時のピンチヒッターとしてリフォーム工事の最初から最後のクレーム処理に至るまでの全ての工程を細部まで習得しました。

 

 本当に素晴らしい・質の高い工事と工程などを間近に見られたのが勉強になりました。


 その後、私的なことでは吉祥寺に事務所を借りた頃、昔別れた彼女から電話があって・・・・中間省略・・・結婚。


・・・が地獄の始まりで(相手は悪くありません)1年あまりで離婚。


「やっぱり、まともな子供時代がない自分は家庭には向いていないのだな」という思い。



 半年後、武蔵野市に中古マンション購入。現在の妻と出会い結婚。

 阪神淡路大震災でマンション価格が1000万円ほど急落。

 長男生まれる。
 
 社員を一人にするために元ヤクザの社員に辞めてもらうことを本人に告げた結果、自宅前で恫喝の後、自宅に呼びつけられて包丁で追い回される。

 次に雇ったベトナム人少年ヤクザとトラブル。(このころは社内コミュニケーション・人間関係に悩みました)



 次に職安から牛乳工場のラインをクビになった子持ちの社員を中途採用するも、顧客とのトラブルで解雇。


 自宅マンションを自分でリフォームして売却、一戸建てに買い替え。




 2004年の元旦血反吐を吐いてに病院へ。(胃にポリープが)


 自社施工という技術的・人間関係に悩みぬいてとうとう、一人になった時に
 
「自分がリフォームのコーディネートとマネージメントをやってチームを動かす」
 
 という現在のスタイルにやっとたどり着いたのでした。

 それが転機となり、紀州鉄道会長 西垣様を始めとするお客様に巡り会い、テレビ取材や新聞記事に取り上げられ順調に業績を上げることができました。




 その後取引先問屋さんの推薦でTOTOリモデルクラブに加盟(現在TOTOリモデルクラブ三鷹店会幹事)
 
 2014年8月に武蔵境駅前事務所開設。

 会社設立30期目
 
 地域密着営業とイベント開催・口コミ・ご紹介によってお客様に恵まれ現在に至ります。
 
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こんな私が提案できるリフォーム工事とは。
 
 「家と家族のあり方・人の一生」を考えたプランと「心遣い」です。
 
 キレイなデザインや奇抜な発想・激安価格の工事はできないし、したくありません。
 
 「人は死んだら終わり」と思っていた子供の頃の自分に
 
 「人は必ず死ぬけど、それまでをどう生きるか?」
 「人と(家族と)どう関わるか」
 
 ということを回り道した今の私が自分の仕事を通して教えてあげたい気がするのです。
 
 こんな私でよければ、一緒にご自宅のお話をしませんか?

 

昭和10年生まれの徳島在住の母と
京都にて


リフォーム工事で失敗する人に共通する「希望を伝える」7つの間違い

を防止する簡単な7つのセリフ(丸暗記棒読みで効果絶大)教えます!

大手リフォーム会社の引き渡しクレーム対応の経験と職人の気持ちと顧客目線を小冊子のまとめましたのでご希望の方はご請求ください(建築同業者お断り)

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資格・許可・加盟団体等

建設業許可 東京都都知事許可(般ー20)第131574号
宅地建物取引主任者

二級建築施工管理技士

増改築相談員
アスベスト使用建築物等解体業務特別教育終了

耐震壁材ダイライト施工研修終了
パナソニック太陽光発電設置工事ID

ガス可とう管接続工事監督者
設計 一級建築士 高濱俊毅

加盟団体

TOTOリモデルクラブ三鷹店会正会員(幹事)

武蔵野法人会会員

武蔵野防犯協力会
パナソニック電工「わが家、見なおし隊。」加盟店
オリエントコーポレーションリフォームローン

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東京海上火災